漫画やアニメのキャラクターと名前が一緒だと、小さい頃なんかは特に話のネタにされやすいものです。
それが主人公だったりヒロインなら格好も付きますが、とんでもない悪役や
ひどい死に方をするキャラクターだったら、あまり気分の良いものではありません。
今日の映画は、フランスの小説家フローベールの代表作「ポヴァリー夫人」その主人公、エマ・ポヴァリーと、彼女と同じ名前を持つ若い女性を重ねてしまうという男のお話です。
ポヴァリー夫人とパン屋
「4コマあらすじ」
「作品みどころ」
妻とともにパン屋を営むマルタン。彼の愛読書はフローベールの代表作
「ポヴァリー夫人」だ。
この小説では、主人公のエマ・ポヴァリーは結婚しているにも関わらず、不倫を重ねた挙句に借金地獄に陥り、夫にバレた事で服毒自殺してしまうという悲惨な結末が描かれている。
夫妻が隣に引っ越してきた当初、マルタンはジェマの名前を聞いて
それが「ポヴァリー夫人」と同じだと楽し気に家族に話している。
ジェマはイギリス出身だがフランス語の学習速度が驚くほど早く、すぐに村の人々とも打ち解け、マルタンの営むパン屋にも足繁く通うようになった。
若いジェマに鼻の下を伸ばすマルタン。
しかし彼女が不倫しており、さらに多額の借金も抱えているという事実を知ると、「まるでポヴァリー夫人そのものじゃないか!」と、小説とジェマの人生を重ね合わせるようになる。
この映画では、冒頭部分でジェマが辿る運命がはっきりと明示されている。
それは紛れもなく彼女の死を意味していた。視聴者に対して、この物語の最後にはジェマは死ぬ、という結末を最初に突きつけてくる。
ジェマの遺品を燃やして処分している夫のところへ、マルタンがやってきて
ジェマの残した日記を盗み出し、それを読みながら彼女の人生を回想する、というのが映画本編の流れである。
ただし冒頭では、ジェマがどのようにして死んだのかまでは明らかにされていない。殺されたのかもしれないし、はたまた小説と同じように自殺したのかもしれない。
印象的なのは、劇中のマルタンのセリフで「芸術を模倣する人生だってあるんだ」というもの。
これは「ポヴァリー夫人」の物語に自分を照らし合わせてくるマルタンに、
ジェマが怒りを露わにして「私は小説の主人公じゃない、私は私なの!」と言い放つシーンだ。
小説と同じ悲惨な結末を辿るのではないかと危惧するマルタンの、必死の想いが現れている場面だと感じる。
マルタンは既におじいちゃんと呼ばれる年齢に達しているが、それでも若い女性には欲情してしまう。
パン作りを見てみたい、と申し出るジェマを工房へ案内し、一緒に生地をこねている最中でさえも、ずっとジェマのうなじや胸元を凝視していた。
ジェマがダイエットを始めてパン屋に来なくなったら、「低カロリーのパンもあるから」と言ってなんとか店に来させようとしたり、
車で追い抜いた際に「ハロー!」と挨拶をしたのに気づかれなかったときは
非常に寂しそうな顔をしていた。
ジェマの不倫相手は、イケメン好青年や大金持ちの資産家など、普通に考えてパン屋のおじいちゃんに勝ち目は無く、マルタンも妻帯者なので本気で狙っているわけではないだろう。しかし娘ほど年齢の離れた相手であっても、
素直な感情に抗えないのは男の性というものだ。
「コメント」
自分の愛読書と同じ名前を持つ、若くて素敵な女性が現れた。しかもその生活ぶりまで小説の内容と酷似している。そんな初めて見る設定の映画で、冒頭から結末が分かっている分、一体どのようにしてジェマが最期を迎えたのか?と先の展開が気になり続ける作品でした。
本当に小説と同じ運命をたどるのか?それとも何か別の原因で死んでしまったのか?そこに注目してご覧いただきたいです。
そしてこの映画のラストを理解するのに必要な情報を一つだけ。
(ネタバレではありません)
最後のシーンで登場する女性の名前を、マルタンの息子が「アンナ・カレーニナ」と呼びます。
この「アンナ・カレーニナ」というのはロシアの文学作品の事で、
「ポヴァリー夫人」と同じく、自ら命を絶つという悲惨な最期を迎える女性が主人公となっています。
この点を頭に入れておくと、本作は最後の1秒まで楽しむことが出来ます。
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